「ストイックですね」って褒め言葉?

煩悩と共存するsustainableな禁欲者 オナ禁やいわゆる”トンデモ健康法”を自己責任の範囲内で実践しています。

無条件で幸せになれた私のアセンション(統合)体験(オナ禁50日目)

意識のあり方次第で世界の見え方、感じ方は変わる

アセンション(統合)とは自分の欠けた部分(劣等感)を無視する(囚われない)ことで克服するのではなく、これに気づき、認めることで完成するものである

オナ禁50日目の手記

私はここ2週間弱のあいだ、生活習慣が乱れていた

普段は5時台の早起きをして、瞑想をして、ジムで筋トレをして、というところから始まるストイックな一日を過ごすところが、近頃は昼夜逆転し、部屋は散らかり、ジャンクフードを食べ、ろくにジムへ行かない毎日を過ごしてる

実は近頃とあるアプリのゲームに出会い、生活習慣が犠牲になるくらいにハマってしまったのだ

これまでの私であれば、生活習慣が乱れると精神的に落ち込み、ますます自分の調子を整える習慣を疎かにしていくという抜け出せない負のスパイラルに入っていったはずである

しかし今回は不思議なことに、一向に精神状態が乱れてこない

自分に対して、思い通りにいかないときに感じる不快感が皆無なのだ

今は確かにゲームをきっかけに怠けてしまっているものの、これもたまたまそういうタイミングだっただけ

時間が解決してくれてまた元通りになるし、別に今の自分のままでもすぐに困ることはないし、という感覚

今の私の学生という身分では、大学卒業と資格試験合格という最低限のハードルを越えさえすれば、社会的にセーフだ(許される)という自己認識があってこそ、今の余裕が生まれていると考えることもできるが、過去の自分ならばきっと病んでいるはずの状況の今、明らかに物事の捉え方が変化している

過去の私のセルフイメージと精神状態について紹介する

ストイックをアイデンティティに幸福を感じていた過去

3年前までの自分は、自分の人生を生きていなかった

常に他人の存在を意識し、依存していた

周りに友達がたくさんいて、頻繁に遊びや飲み会の予定が入っていて、恋愛もして、刺激の多い毎日

確かに楽しい思い出もたくさんあるが、しかしその分、孤独を感じやすい精神状態でもあった

常に他人の様子が気になり、予定がスカスカだと病んだ

また、当時はアイドルが大好きで情報収集を欠かさなかったり、2ちゃんねるのまとめサイトを周回して芸能ゴシップにいちいち反応するのが習慣だったり

自分の人生を生きられていない人の典型であった

その後、学業面での苦難やクリニックで薬を処方されるレベルの鬱状態が相まって、私は自分を変えようと思い立つ

2017年半ばくらいから半年かけて、自分を律するために日記をつけたり、Twitterでストイックになりきった自分を発信することを始めた

当時はまだ意識高い系の真似事

筋トレに出会ったのもこの頃だった

ストイックなマイルールを設定し、自らそれを遂行することは、自分との約束を守ることのできたという自信に繋がった

徐々に身の回りの問題も解決し始め、自分の人生の目標を再確認し、それに向かって正しい努力をする限りは、自分は人生を失敗することがないという確信が持てた

正しい努力とは大学の勉強と、それを継続するために必要な心身のコンディションを整えるためのストイックな生活習慣を指している

「私の未来は常に明るい」というのがスローガンで、そんな今の環境に感謝し、鬱になったいきさつも含めた全ての過去が今に至るために必要な経験だったのだと肯定できるまでに回復した

「自分の正義と矛盾なく生きられることが幸福な人生である」という私の人生観は、のちに知ることになる禅の「修行そのものが悟り」という言葉と偶然にもつながっていた

一方でストイックな自分という理想は、時に自分自身との分離を生む

私はわりに継続が得意なほうではあるが、それでも毎日を完璧にストイックに生きることが難しいときがある

ときに起きる、一時的に怠けてしまった瞬間に、理想とかけ離れた現状に対して自己否定したくなる不快な感情が生まれ、調子を崩してしまうのだ

一度ネガティブな感情が起きるとなかなか調子を取り戻すのが難しく、「きっと一度思いっきり早く寝て、次の日の朝にジムに行けば調子が元通りになる」と頭で分かってしても、行動に移すのに経験上1週間ほどかかった

2018年から現在までの約3年、「ゴリゴリのストイックと、時々病み」を繰り返していた

大半の期間をハイパフォーマンスで過ごせるために、現実はかなり上手く回っていた

学業も人間関係も人生のベストを過ごすことができた上、時々やってくる不調も「止まない雨はない」程度に考えられるようになっていた

無条件に幸せを感じる今

そしてこの1週間、ついに怠惰な期間すらそれに飲み込まれず、ケセラセラのマインドを手に入れた

このマインドの変化の秘訣を具体的に特定するのは難しいが、やはり最近禅や老荘思想などの宗教哲学やスピリチュアルを学んでいて、物質的な豊かさから精神的な豊かさへ価値観が移っていっていることが大きくかかわっているのだと思われる

ストイックな自分(物質的な成果)が必ずしも心の平穏の条件ではないと気づくことができたのだ

鬱だった4年前の自分にとっては必要なピースだったのだろうけども

また3年前からすでにスピリチュアルの考え方を人生哲学に取り入れてはいたものの、その当時は「物質的に豊かになるために、神頼みをする」といった感覚だったのだと今になって気づく

こういう人は多いだろうと思う

引き寄せの法則で金運や仕事運、恋愛運を上げたいと思っている人

神社参拝や徳を積む行為を、何かしら物質的に”換金”されると期待して行っている人

スピリチュアルは手段ではなく、「あり方(being)」である

「目的」ですらない

「修行そのものが悟り」という道元禅師の言葉も然り、多くの宗教が瞑想と内観を個人の在り方の基本としている理由もここにあるのだろう

オナ禁50日目、ただゲームにハマって堕落しただけのことをきっかけに人生最大の気づきを得た