最近は自分の性器を刺激して射精するという感覚を身体が忘れている
「ムラムラしたら自慰で発散する」という思春期以降身に付いて離れないと思われたルーティンが、欲求と思考・行動パターンの間で断線しているような感覚だ
一般的に健康を害するとされる不食・不眠と異なり、不射精はごく自然な営みである(命を繋ぐという一生涯に数回ほどの役割を除く)と実感する
ムラムラするのは自然だが、繁殖行為以外での射精は不自然。ポルノ愛好は議論の余地もない
そんな中で恋人と添い寝をし、体を触り合っていて思ったのはセックスと射精とその先の考察である
彼女持ちのオナ禁は楽だろうか
「恋人やセフレがいて、好きなときにセックスで射精ができるほうがオナ禁は楽だ」と宣う者がいる
それに対して「セックスでの射精を一定の頻度で経験すると性欲のコントロールの難易度は上がり自慰のリスクも上がる」と返す者がいる
それぞれの議論が色々と間違っている
女性はいかなる場合にあってもオナ禁者の性欲処理のために存在しているわけではない
その発想で性欲を発散している、あるいはしたいと思っている貴方は立派なオナニストである
オナ禁は本来日数の長さではなく、自分の魂のレベルが上がる思考と行動を身に付けるプロセスにこそ意味があり、結果として物質的な効果も(おまけで)受け取られるものなのだ
セックスを射精目的で考えているうちは、自分の性と向き合う視点に立つことができない
オナ禁する意味を考え直すところからやり直さねば、いくら日数を積んだところで同じだろう
以前、風俗嬢とのプレイのなかで射精に耐えたことを「接して漏らさずの実践である」と誇る者を見て頭を抱えたことがある
オナ禁情報商材屋が語る「接して漏らさず」
話は逸れるが、オナ禁を絡めた情報商材屋さんたちの多くが教材の中で「性の奥義・性エネルギーの昇華方法」としてタオイズムや房中術の類を紹介する
これはシンプルに、"秘伝"という甘美な響きが情弱を簡単に釣り上げるエサとして機能していると指摘できる
それだけならば釣られるほうが悪いと思えるが、この手の教材で伝えられるタオイズムはあまりに表層的・小手先のノウハウであり、陰陽思想の本質的理解を伴わないものであるという点で悪質である
いわゆる非モテをカモにしたコンプレックス商材である時点で、消費者は物質的欲求の沼にハメられているために、タオを体得する感性を奪われている
私自身も例に漏れないが、多かれ少なかれオナ禁を志す初めの理由は女性との関係構築の願望であろう
本来ならばその過程で自分の性、他人の性についての深い洞察が為され、結果的に女性との幸福な関係を築く土台となる精神が出来上がるはずなのだ
しかし道半ば、禁欲の継続に苦しみ情報商材に手を出してしまったタイプのオナ禁者は教材の巧みな文章にコンプレックスを煽られ、満たされない煩悩のラットレースに組み込まれる
女性は陰、男性は陽のエネルギーを持っており、この世界は陰と陽の適切な調和によって秩序が保たれているとするのが、陰陽思想の大前提だ
数打って女性経験を積むようにと出会い系を勧めてくる先生がこれを理解しているはずがない
陰陽の調和などに目もくれず、金に目がくらみ、PCMAXの高額なアフィリエイト報酬が欲しいだけなのである
オナ禁が教えてくれること
「射精は多大なエネルギー消耗を伴う」
これは事実である
"オナ禁によってエネルギーの浪費を控えよ、さすれば人生が豊かになる(その分、他にエネルギーを割くことで成功できる・モテる)"
初級編の解釈はこの程度で良いのかもしれない
まずは自分の心身に優しくすることを覚えたほうがよいだろう
ジャンクフードを食べる習慣はその刹那には快楽であるが、自分の健康を害するという意味で、自分の魂に優しくない選択である。射精についても同様の理屈だ
これはよいとして、可能であれば次のステップへ進んでみよう
性のエネルギーが自らの心身の健康に関わる重要なものであることを理解したならば、同様に女性の性もまた軽んじてはいけない大切なものであることに気づくはずだ
自分の欲望に従い、女性から大切な性を搾取するようなことがあってはならない
男女の心の調和が保たれない性の交流は、女性だけでなく男性も、お互いを不幸にする
これはそもそも論であるが、東洋思想を始めとした哲学の中には、自分と他人という区別がない(一如)という考え方をするものが多い
自分を取り巻く人・環境・世界の全てが幹の部分では自分と繋がっていて、自分そのものである
他人(女性性)を大切にできない人間は自分を大切にできていないのと同じということだ
視野が狭いために気づかずに生きているが、幹の部分で自分の魂を傷つけ、人生の価値を損ねているのである
「接して漏らさず」の正しい考え方
「女性の性の搾取」はなにもレイプだけを指すものではない
女性にも愛とセックスを求めるバイオリズム(タイミング)の波が存在する
この女性のタイミングが男性の感覚と一致しないためにしばしば不幸が生まれるが、男性はこれを理解していない
男性が女性のタイミングを無視して交わることも小さいながら罪深き搾取だ
愛のある恋人・夫婦関係であっても「ここぞ」というタイミングを適切に見極めなければ、調和が保たれた幸福なセックスとは言えないだろう
多くの場合、男性よりも女性のほうがタイミングの良し悪しの振れ幅が大きい
だから男性側が理性で以てこのタイミングに配慮し、自分の欲を制御して振る舞うのが賢明であろう
最初の項で述べたように貴方の大切な美しきパートナーは、貴方の欲望に付き合わされるために存在しているのではないのだ
「他人の大切なものを奪ってはいけない」
「親しき中にも礼儀あり」
こんな当たり前のことを、現在パートナーがいようといまいと、世の男性の多くは実践できていない
「接して漏らさず」はその精神性が愛の実践であり、教訓なのである
あくまで調和、相手とのタイミングを見極めるべし
刹那の欲に駆られてセックスしようとするな、刹那の欲に駆られて射精しようとするな
古代の賢者は我々にそう語りかけている
「射精を我慢できた~♪射精さえしなければエネルギーを失わないのでセックスし放題だ~♪」
房中術がこんなセコいノウハウではないことはご理解頂けただろう
ナンパジャンキーが幸せになれない理由
Twitterではオナ禁界隈とナンパ界隈は紙一重のところに位置しているが、陰と陽の性の調和という観点で注意喚起しておきたい
ナンパの人たちはたとえ恋人が欲しい場合でも、デートの経験を積みたいなどの練習感覚(?)であっても、1回のデートに成果を見出だそうと考えたときに、ゴール設定はセックスなのである
ここで仮に女性とお付き合いしていて、共に過ごす時間が無限にある男性の場合を考えてみる
男性は恋人である女性を気遣い、ゆっくりと互いのタイミングの合う瞬間が巡ってくるまで待ち、今すぐにはセックスしないという優しい選択を取ることができるはずである
しかしナンパさんたちには時間の猶予もない上に、セックスできる期待値も低いとなれば、一番大切にすべき相手の女性のタイミングを無視してしまうことになる
もちろん相手の女性がナンパさんを生理的に受け付けない場合もあるが、仮に許容できる範囲にあったとしても、そのデートの日に「今はしたくない」というタイミングであることが往々にしてあり得る
にも拘わらず、ナンパさんたちには余裕がないので、ゴールに向かっていかに女性の拒否を切り崩していくか、セックスにこじつけるかに必死になる。その褒められない強引さをノウハウとしてnoteで購入する
断られないことと、受け入れられることには雲泥の差がある
冷静に考えれば分かりそうなものだが、これを知ってか知らずか、その聖域に踏み入れて、陰陽の調和を乱してまで刹那的な快楽を得ようとする
これが不幸でなくて何だと言うのだろう
自分の欲が満たされればそれで良いという考えで起こした行動だが、この世界は繋がっているので他害が自害となる。自分の人生の価値を損なっている
しかもいくら女性をモノにしたつもりになっても真実の愛の交流ができないので、経験人数や抱いた女性のレベルを追求する亡者になる
あるいは愛で満たされない分をSNSでの承認欲求や、情報商材の収益として埋めようとする
人は自分を映す鏡である
自分自身の魂のレベルが低いままだからこそ、目の前の女性のレベルに不足を感じるのだ
本当に残念なことである