「ストイックですね」って褒め言葉?

煩悩と共存するsustainableな禁欲者 オナ禁やいわゆる”トンデモ健康法”を自己責任の範囲内で実践しています。

中今(なかいま)を生きる意識の意味と方法(オナ禁30日目)

「中今」って?

「中今」という言葉は神道に由来するそうです

時間の永遠の流れのうちに中心点として存在する今。単なる時間的な現在ではなく、神代を継承している今。

「継承している」ことがポイントのようで、刹那的に「今だけ良ければそれでいい」という考えではなく

過去が凝縮していく「今」、未来へ無限に広がる可能性を秘めた「今」というニュアンスが含まれた言葉だといいます

私がこの言葉に触れたのは東京大学名誉教授・矢作直樹先生の講演を見たときのことでした

中今の意識の大切さは自己啓発でよく語られる「今この一瞬を大切に生きよ」であり、仏教によるところの「禅」、シリコンバレー式では「マインドフルネス瞑想」です

過去や未来に囚われず今に向き合うことは、人間を苦悩(思い通りにいかないこと)から遠ざけ、ひいては幸福感を高めることに繋がります

ライフハック術としてのマインドフルネスはせいぜい数十分、目を瞑っているあいだに思考が整理されて仕事の生産性が向上するといったものでしょう

しかしながらマインドフルネスの実践が本当に一瞬一瞬、絶え間なく意識された時間を過ごすことができればそれはもはや悟りです

過去や未来への気がかり、執着が入り込む余地のない生き方を実践できるのです

幸せな人生を歩むヒントは「中今」。すべての瞬間を感謝とともに生き切る。矢作直樹 氏インタビュー【第2回】 | MOC(モック)

「中今を生きる」を意識し続ける方法

座るも禅、歩くも禅」という言葉がありますが、生活のすべての所作のそのひとつひとつを丁寧に感謝を持って行う精神は尊いものです

矢作直樹先生も中今を生きるコツとして、

①エネルギーを全身に送り出している心臓の中心をイメージし、動き続ける心臓に感謝する

②ひとつひとつの動作について自分の身体に感謝する

例)単に「水を飲む」という動作においても、「コップに水がある」と知覚できたことについて目と脳に感謝!⇒コップに手を伸ばすことができて、手にありがとう!⇒水をゴクリと飲めた、誤嚥もしていない、ありがとう!⇒飲み終わってホッとした、体ありがとう!

③人間関係でイラっとするようなシチュエーションでは感情的になる前に、相手の立場に立ってみてその在り方に感謝する

これらの特に②の方法はいわゆる歩行瞑想や呼吸瞑想と大きくは違わないものでしょう

感謝が実践の根底にあるという点がヒントとなります

過去は腐臭のある遺体

破る | Ven. Alubomulle Sumanasara [アルボムッレ・スマナサーラ] | TEDxSeeds 2012

スマナサーラ長老の講演からも過去への執着の愚かさを学ぶことができます

・不幸感は過去との比較から生まれる

・未来を思い悩むのは「過去の自分が集めた情報でシミュレーション"しているだけ」だから、結局頭の中で考えている未来も実は「過去」である

・過去を引きずって生きるということは、すでに死んでしまった自分の遺体を背負っているようなもの。遺体からは膿が出て、腐臭を放つ。早急に火葬すべし

・人生を大袈裟に考えてはいけない。自分探し・魂の在り方を探求するのは無駄。何か特別な答えがあるわけではなく、もっとシンプルなもの。インド哲学は後世の人々が解釈を付け加えたゴミである

マインドフルネスを欲を満たすためのツールにすると・・・

(余談ですが、最近聞いた面白い話を紹介させてください)

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近年の研究では有効性が示され、Google社員の間でも実践されているマインドフルネス

ビジネスで他者を抜きんでるために、ビジネスパーソンの必須スキルとして持て囃されているのが現状です

これではお釈迦様や達磨和尚様の伝えたかったことが何一つ伝わっていません

ハムスターが回し車を必死で回していました

ひょんなことから回し車の回転数に意味などないのだと気づき、回し車から降りることができました

これが悟りであり、坐禅(マインドフルネス瞑想)である、はずなのです

ビジネススキルの文脈において、より早く車を回せる方法(ストレス管理、発想力、集中力アップ)として扱われているのは残念なことです

今この一瞬を生きること

静かに自分の内面と向き合うこと

自分の内側と外側に隔たりがなく、すべてが一体であると感じること

坐禅はこれらそのもので、もはや目的もないのです

車をどれだけ早く回せていてもラットレースは終わらない、強いて言えばこのことに気づくことが目的でしょうか

禁欲主義に限らず、合目的的であることが行動規範だったここ数年の自分は、禅の教えに触れたことで変わりつつあります